会長挨拶

設立趣旨

1972年,多国籍企業学会の前身である多国籍企業研究会がわが国を代表する専門家有志により設立された。2007年に学会へ改組した本会は1972年の設立以来,多国籍企業に関する経済的,経営的課題を研究するわが国で最も歴史のある学術団体である。本会はわが国の多国籍企業の発展とともに歩み,実に半世紀の歴史を紡いできた。この半世紀の間,わが国の学界,実業界を取り巻く環境は大きな変化を経験してきたことは言うまでもない。このたびこの歴史と伝統ある本会の会長へ就任するに際して私に課された使命とは,次の半世紀に向けた力強い一歩を踏み出すことに他ならない。この使命を真正面から受け止め,会員の皆様,関係の皆様に対してここに所信表明として3つの方針をお示ししたい。

第一の方針は,「日本独自の多国籍企業研究の追求」である。日本の多国籍企業は1970年代から1990年代にかけて,欧米とは異なるその独創性に注目が集まり,わが国の経済大国としての確固たる地位の確立とも相まって,世界の学界実業界から高い関心を集めた。その背景には,日本と日本の多国籍企業による巨大な経済的なパワーがあったことは明白である。令和元年(2019年)現在でもわが国は世界第3位の経済大国である。しかしイノベーションの国際競争力の低下,組織と社会のグローバル化の遅れ,高齢社会の進展と労働人口の減少,低調な起業家精神,対内直接投資額の低迷など,わが国は将来に向けた課題をいくつも抱え,今後の経済成長への期待を危ぶむ声も少なくない。しかし一方で,日本の多国籍企業の独創性と先進性が際立つ分野も健在であることを忘れてはならない。インテグラル型ものづくりを武器に輸送機器,材料やデバイス分野では高い国際競争力を有している。AIやロボット,創薬・医療,再生可能エネルギーなどの最先端の技術分野においても世界をリードしている。特許数においては世界トップクラスの地位を長い間維持している。拡大を続ける訪日外国人数は日本の食文化,観光資源,文化コンテンツの魅力を例証している。経済的価値の追求だけではない。日本の多国籍企業は,持続可能な社会の実現,地域社会との長期的な互助関係の構築,循環型社会への転換などの社会的課題にも長期的に取り組んでいる。このような取り組みは,短期的な財務指標では計り知れない,地球市民としての未来の多国籍企業のあり方を探求する挑戦である。もちろんそこには越え難い課題が山積しているのもまた事実である。本会では,これら日本の多国籍企業の独創性と先進性,そして大いなる課題に対してこれまで以上に光を当て,社会的にも実務的にも意義のある学術研究を展開していきたい。

第二の方針は,「日本の研究スタイルに基づく世界への発信と対話」である。 欧米流の研究スタイルの世界的普及には目を見張るものがあり,すでにアジアの主要大学を飲み込み,もうはや後戻りはできないのが現実である。この現実に我々は背を向けることはできない。むしろ,わが国における多国籍企業研究の 成果をより積極的に世界へ発信し,世界と対話し,これを研究水準の向上を図る機会とすべきであろう。昨今,わが国の関連学会では,欧米流の研究スタイルとの向き合い方に関する議論が盛んである。本会では,前会長である浅川和宏先生のリーダーシップの下,この問題を早い段階から検討してきた。そこでは次のような結論を得ている。すなわち,研究の質的向上を図るために欧米流の方法論的厳密性(rigorous)から学び,これを修得するとともに,産業界との緊密な関係性に基づきビッグ・クエスチョンの追求や実務的インプリケーションを多分に含む研究テーマに長期的に取り組むことができる日本の研究環境の立地優位性を活かすことが「日本の研究スタイル」の強みとなる。会員の皆様とともに, 日本の研究スタイルを多国籍企業研究分野において確立し,積極的に世界へ 発信し,世界との対話に努力したい。そして研究成果の世界への発信においては,量的にも質的にも高い目標を掲げたい。後世に残る独創的でインパクトの ある研究成果を世界へ向けて発信できる「しくみ」を本会において構築したい。

そして第三の方針は,「若手・中堅研究者(社会人院生含む)に対する研究支援の充実」である。多国籍企業ならびに国際ビジネス分野を志す次世代の研究者・教育者の育成は学界に課せられた重要な使命である。先達が繋いできたバトンを我々の世代で潰えさせてはならない。このためには,従来の大学院教育に  加え,本会においても若手・中堅研究者の研究能力の向上,研究生産性の向上に資する支援策を講じたい。具体的には,方法論的厳密性の修得,実績ある研究者(グループ)との共同研究機会の提供などを,集中セミナーの開催,国際学会への派遣支援等を通じて推進したい。今後,国内外より多国籍企業研究を志す研究者が本会に集い,切磋琢磨し,近い将来,研究活動ならびに大学・大学院教育に大いに貢献いただきたいと切に願う。そのインフラ機能の一端を本会が担いたいと考える。

以上が3つの方針である。いずれも一朝一夕に成せる課題ではない。しかし 幸いにして本会には歴史と伝統,先達による分厚い蓄積がある。この蓄積を礎とし,少数精鋭の本会会員の皆様と共に協力して,次の半世紀に向けた力強い第一歩を踏み出したいとここに決意するものである。

令和元年(2019年)8月
多国籍企業学会会長
臼井哲也