多国籍企業研究第11号
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46林倬史著『新興国市場の特質と新たなBOP戦略 ―開発経営学を目指して―』 金綱 基志 Prahalad(2010)、Hart(2010)などのBOP論は、BOP市場が魅力的な市場であること、そして現地の様々なパートナーと協調しながらビジネス生態系を構築することで、新興国における社会的課題の解決と多国籍企業のビジネスが両立可能であることを見出してきた。こうした知見は、経営学に新たな地平を築いてきたようにも見える。一方で、新興国における貧困と資産・所得格差の問題は、依然として現代における最大の社会的課題の一つである。例えば、本書が指摘するように、21世紀に至っても、年所得365ドル(1日1ドル以下)の人々は、世界に10億人存在する。こうした事実は、これまでのBOP論の再検討と、新たな視点からの分析の必要性を示すものではないか。これが、本書におけるBOP論のベースとなる問題意識となっている。 従来のBOP論に欠如していた視点とは何であるのか。著者によれば、それは新興国特有のインフォーマル・セクター(IFS)の存在と現地財閥系家族支配型企業(以下、現地財閥系企業)による産業支配の分析抜きに考察を行っていた点にある。BOP論が、新興国の社会的課題の解決に資するようになるためには、先進国とは異なる新興国固有の産業組織や市場の異質性を踏まえたものにならなければならない。そして、この異質性を明確にするためには、現地インフォーマル・セクターの就業者層と、多国籍企業や現地財閥系企業などフォーマル・セクターに属する不安定就業者層にも注目しながら、BOP層とインフォーマル・セクターの拡大再生産のメカニズムを解明する必要がある。この貧困層の拡大再生産のメカニズムに切り込んでいかない限り、新興国の貧困や資産・所得格差の問題は解決できないとする点が、本書をこれまでBOP論とは異なるものにしている。本書は、フィリピンを対象にして分析が行われている。第1章は、フィリピンの産業界が、現地財閥系企業の主導の下に、外資系多国籍企業や政府系企業と連携して支配する構図となっていることを、AyalaグループやLopezグループの事例などとともに明らかにしている。第2章は、こうした現地財閥系企業、政府系企業、外資系多国籍企業から構成されるフォーマル・セクターにおいて、雇用創出のメカニズムが機能していない点を明らかにしている。フィリピンでは、経済活動人口のうち71.4%がBOP層として存在するという著者のデータが、この事実を裏付けている。また、第3章は、フィリピンにおけるBOP層の大きさにもかかわらず、同国の個人消費が拡大している現象を、OFW(Overseas Filipino Workers)による海外からの送金収入から説明している。こうした現状を転換していくために必須と著者が考えるのが、現地NGOが主体となって形成する自律的ビジネス生態系の構築である。第4章、第5章では、フィリピンにおいてBOP層の経済的自立化に重要な役割を果たしてきているNGOのCARD(Center for Agriculture and Rural Development) の実態分析が行われている。CARDは、フィリピンにおける最大規模のマイクロファイナンス業務を行っているNGOである。CARDは、サリサリストアと呼ばれる農村コミュニティの零細小売業、農作物や魚の行商、露天商などに対してマイクロファイナンス・ローンを提供し、主たる融資対象である女性の就業機会の増加と経済的自立化を促進している。ここでは、こうしたCARDによる支援を通じて、零細小売業が、家族の自立的経済基盤の構築によって子供の教育をサステイナブルなものにし、フォーマル・セクターにおける職業人としての将来的能力を獲得させ
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